2010年9月5日日曜日

照手姫ものがたり

【照手姫ものがたり】

むかし、今から六百年以上も前の室町時代の頃のお話です。
その頃、足利持氏という関東管領が鎌倉に住んでいました。

関東管領というのは都に住んでいる将軍さまの代わりに、関東地方を治めるという大切な役目をする人のことです。

ところで、将軍さまには子供が無くて世継ぎに困っていました。
持氏は、

「よい折じゃ、息子の安王丸か春王丸のどちらかを何とかして将軍にしてしまおう」

と、たくらみ、自分の子を将軍にする運動を密かに始めました。

さて、常陸の国に小栗判官満重という侍がおりました。
満重は智恵も勇気もあり、その上、心の正しい人でしたので持氏のたくらみに賛成しませんでした。

持氏は自分のたくらみに賛成しない満重が邪魔になったので、小栗城を攻め滅ぼすことにしました。

「や〜っ、や〜っ!!」

と大声で呼ばわりながら土煙を上げて、持氏の家来たちは小栗城を取り囲みました。
満重たちは勇ましく戦いましたが、何十倍もの敵にはかないません。
とうとう、小栗城は落ちてしまいました。

「ひとまず三河の国(愛知県)へ落ち延びよう」

と満重は十人の家来をつれて敵の囲いの中を逃れ出ました。
それから間もなく、十一人の旅人が相州路(神奈川県の道)を歩いておりました。
これが満重たちの仮の姿だったのです。

満重たちが藤沢の宿まで来た時には夜になってしまいました。
そこで、『横山』 という、宿屋に泊まることにしました。(解説:今の戸塚のあたりだったようです)
ところが宿屋の主・横山大膳は、この辺りを荒らしまわる泥棒の親分だったのです。
大膳は満重たちが旅の姿はしていても、立派なお侍であることに気づきました。

「しめしめ、良い獲物じゃわい」

とつぶやくと、横山大膳は満重たちを一番良い部屋に通し、お酒を勧めました。

横山大膳は満重たちが酔いの回ったところをみはからって『鬼鹿毛(おにかげ)』 という、日本一の暴れ馬を連れて来ました。

「お侍さま、この馬は近寄ると人をも食い殺すという暴れ馬ですが、なんとか大人しくさせて戴けないでしょうか」

と満重に話しかけてきました。
横山大膳は酔っている満重が馬に乗りそこなって、大怪我をするか死ぬことにならないかと、考えたのです。
満重は

「良い馬じゃ!」

と言って飛び乗りました。
満重は馬乗りの名人だったのです。
庭先を自由に乗り回し曲芸までやってのけました。
あまりに見事な満重の手綱さばきに横山の者たちもびっくりしてしまいました。

満重を自分たちの力でやっつけるのは難しい、と、考えました。
そこで、横山大膳は、ひそひそと相談して

「お酒の中に毒を入れて殺してしまおう」

ということになりました。

横山大膳は美しく着飾った女たちを呼び、満重たちに毒の入ったお酒を勧めさせました。

ところで、女たちの中にひときわ美しい娘がおりました。
その名を照手姫といいました。照手姫は立派な武家の娘にうまれ何不自由なく育ちましたが、両親に死に別れ横山大膳の家で働いていたのです。

照手姫は満重のりりしい顔立ち、澄んだ目、気品のある姿を見て

(きっとこの御方は立派な方に違いない、この方を死なしてはならない)

と、思いました。
大膳の恐ろしいはかりごとを知っている照手姫は何とかして満重に知らせたいと思い、勇気を出して満重に近づきました。
満重にお酒を注ぎながら小さい声で

「このお酒は召し上がってはなりません。毒が・・・・。恐ろしい毒が入っています・・・・。」

と、満重に耳打ちしました。
満重は照手姫をじっと見つめました。
何を言っているのか聞き取れなかったのです。
しかし、お酒を注いでいる照手姫の手が震えています。

満重ははっとしました(これは何かあるぞ)

照手姫の唇がまたかすかに動きました。

「このお酒には、毒が・・・・。」

満重は(そうか、そうだったのか、ありがとう)と、心の中で照手姫に感謝し、そっと照手姫の手を握ると盃を置きました。
毒酒であることを知った満重はお酒を飲まないようにしました。
そのうちに、大膳がやって来て、しつこく勧めました。

「もう充分にいただきました」

と、断っていましたが、あまり断るとかえって怪しまれると思い、盃を少しだけ唇に付けてみました。
それを見て家来たちも盃を口に運びました。
すると、どうでしょう。

満重は、たちまち身体中がしびれて、そのまま倒れてしまいました。
家来たちも血を吐いて死んでしまいました。

「うわっはっはっはあ〜 上手くいったわい。者ども着物をはぎ取れ、金を残らず奪ってしまえ!!うわっはっはあ。」

泥棒の家来たちは満重をはじめ十人の家来の着物をはぎ取り、裸にして上野ヶ原に投げ捨ててしまいました。

照手姫は満重が上野ヶ原に捨てられたことを知って悲しみました。
このまま横山の家にいることが、とても恐ろしいことに思えてきました。

(そうだ、こんな恐ろしい家から逃げ出そう)

と決心して、家中が寝静まった頃、照手姫は横山の家をこっそり抜け出しました。

そして、金沢(横浜市金沢区)の六浦というところにたどり着きました。
しかし、ほっとする間もなく数人の荒くれ男たちが迫っていたのです。
それは、横山からの追っ手でした。

「待てーつ、逃がすものかーっ!!」

追っ手は必死で逃げる照手姫をつかまえました。
そして、『油堤』 というところから川の中へ投げ込んでしまいました。(解説:今の侍従橋の所)

油堤はツルツルとした岩が崖のようになっていて、とても這いあがることは出来ません。
長い道のりを一生懸命逃げてきた照手姫は身も心も疲れ切っていました。
水をたっぷりたたえた川は、照手姫をすっぽり飲み込んでしまいました。

普通だったらとても助かりそうにありません。しかし、信心深い照手姫は一心に観音さまにお祈りしました。
すると、どうでしょう。不思議な事に川のほとりに近い千光寺の観音さまが現れて、溺れかけている照手姫を救い出しました。
照手姫を土手の草むらに静かに寝かせると、観音さまの姿は消えてなくなりました。
(解説:千光寺は、侍従橋の近くにありましたが、30年くらい前に、東朝比奈に移りました)

このありさまを初めから終わりまで野島の漁師がただ一人見ていたのです。漁師はあまりに不思議な出来事に驚き、また、感激して照手姫のそばに駈け寄りました。
照手姫の顔はたった今まで水におぼれていたとは思えないほど美しく、清らかでした。

漁師は照手姫のお世話をしようと、野島の家に連れて帰りました。

そして、幾日かして『侍従』という名の照手姫の乳母が、姫を探して、はるばる油堤までやってきました。

その辺りには悲しいうわさが流れていました。
一人の若い姫が悪者たちに川に投げ込まれて、どうしたわけか死体も上がらないというのです。
その話を聞いて侍従は、気も狂うほどに驚き、悲しみました。

そして、とうとう悲しみのあまり、持ってきた照手姫のお化粧道具をその場に置くと、姫のあとを追うように川に飛び込んで自殺してしまいました。

こんな悲しい事があって良いのでしょうか。
その時から、誰言うことなくこの川を乳母の侍従の名をとって『侍従川』と呼ぶようになったのです。
 
ところで、照手姫は野島の漁師の家でしばらくは幸せに暮らしていました。

ところが、美しい姫に漁師が優しくするのを見て、漁師のおかみさんはいつしか、やきもちをやくようになりました。
そして、何かにつけて照手姫をいじめるようになります。

おかみさんはある日とうとう漁師の留守をみはからって、姫を裏庭の松の木の枝に吊り上げました。
そしてその下に積み上げた、松の枝葉に火をつけていぶし殺そうとしたのです。
(解説:金沢八景のダイエーの近くに姫小島として名前が残っています)

照手姫は誰も恨まずに、目を閉じてただ一心に観音さまにお祈りしました。
するとまたまた不思議な事に、煙は横になびき、火はまもなく消えてしまいました。

「ええぃ、なんということだ。いっそのこと、人買いに売ってしまおう」

やきもちやのおかみさんは、とうとう照手姫を人買いに売ってしまいました。

照手姫はあちこち売られ歩き、落ち着いたところは美濃国(岐阜県)の青墓(あおはか)というところでした。
ところが、ここでも辛く悲しい日々を、再び送らなければならなかったのです。

照手姫は青墓のよろず屋の召使になって、朝な夕な苦しい仕事をさせられていました。
たとえば、六つのかまどをわらの火で一つも消すことなく炊けとか、半里も離れた所にある泉の水を七桶汲んでこいとか、それはそれは難しい仕事を命じられていたのです。
そして、それが出来なければ遊女になれと、責められました。

しかし、照手姫は観音さまにお祈りしながら、くじけないで一生懸命働きつづけました。

さて、話は変わって、ここはえんま大王の前です。
死んだ人を極楽へやるか、地獄へやるかを決めるのがえんま大王の仕事です。

横山に殺されて、息を引き取った満重の十人の家来たちも、揃って、えんま大王の前にやってきました。
えんま大王は、目をかっと開いて十人を睨みつけました。家来たちは、恐ろしくなってぶるぶると震えだしました。

「何をふるえておる。言いたい事があったら言ってみろ。」

とえんま大王が叫びました。家来たちは勇気を出して自分たちが死んだわけを話しました。そして口々に、

「大王さま、どうか私どもの主人をお救い下さい。主人の命をお救い下されば、私どもは、地獄に落ちてもかまいません。どうぞ、お願いします。」

と、熱心に頼みました。

「よろしい。お前たちの主人思いに免じて助けてやろう。お前たちはそろって極楽行きじゃ。」

その晩のこと、藤沢の遊行寺の上人さまの夢枕に、えんま大王の使者が現れて一通の手紙を置いていきました。上人さまが開いてみると、

(上野ヶ原に、十一人の屍が捨てられていて、小栗判官満重だけが助かるみこみがある。熊野の温泉に浸かると助かるであろう。必ず助けるように)

と書いてありました。

さっそく上人さまが弟子たちを上野ヶ原に使わしてみると、そこには犬が吠え、カラスが群がっていました。えんま大王の使者からの手紙のとおり十一人の屍が横たわっており、小栗判官満重だけには、かすかに息がありました。上人さまの弟子たちによって、満重は餓鬼阿弥(がきあみ・生者と死者の間のもの)というみにくい姿のまま土車に乗せられました。

胸には、

(この者を熊野の温泉に浸けて元の姿にせよ)

という、えんま大王が書いた札をぶら下げていました。

土車に乗せられた満重は、餓鬼阿弥の姿となっておりましたので、道行く人々も、仏の供養のためにと、手を貸して土車を曳いてくれました。

満重を乗せた土車は東海道を上り、やがて青墓のよろず屋の前にさしかかりました。

照手姫は餓鬼阿弥を見て、満重とは知らずに、満重の供養の為にと土車を曳くことを思いたちました
よろず屋には、三日間だけ暇をもらったのです。

それ以上の暇はもらうことは出来ませんでしたが、照手姫は赤い袴をはき、巫女の姿になり、手に笹の葉を持ちました。そして、満重のことを思いながら一生懸命、土車を曳いたのです。

土車は青墓から近江・大津・関寺とたどり、玉屋の門の前まで来ました。

そこで、照手姫は餓鬼阿弥とともに、しんみりと一夜を過ごしました。
三日間の暇の終わらないうちに、よろず屋に戻らなければなりません。

照手姫は後ろ髪ひかれる思いで、満重ともわからない餓鬼阿弥に別れを告げて行きました。

餓鬼阿弥を乗せた土車は、なおも京・大坂を通り、熊野を目指して進んで行きました。山道に近づき車道がなくなりました。そこからは山伏にかつがれて山道を行き、とうとう目的地に着きました。

満重はそこで七色に変わる温泉に四十九日間浸かりました。
そして、元の身体に戻ることが出来ました。

月日は流れ、照手姫のいる青墓にもいつしか春が巡ってきました。
そんなある日、よろず屋の家に大変立派なお侍が訪れました。
それは、小栗判官満重でした。

満重はあれから都の将軍さまにお目にかかり、何もかもお話しました。
そして、将軍さまのお力を借りて、小栗城を立派に立て直すことが出来たのです。
その後、命の恩人である美しい照手姫を、あちらこちらと探し歩いていたのです。

桜の花の散る下で、二人はやっとの思いで巡り会えることが出来ました。
手を取り合って喜び、今までのことを話し合い、すべてが明らかになりました。

満重と照手姫は、それからは死ぬまで変わることのない愛に結ばれて幸せに暮らしました。
つらかった過去を忘れることなく、いつまでも観音さまを大切にしたということです。

照手姫を侍従川からお救いになり、また松いぶしからもお救いになった観音様は、あれから数百年たった今でも六浦の千光寺に照手姫の「身代り観音」として大切に祀られております。千光寺は、今は、東朝比奈に場所が移っています。

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【照手姫にまつわる伝承】(相模国風土記稿より)

・侍従川 侍従川は、光伝寺の前をながれる川なり。俗に伝うところは、照手姫が乳母侍従と云う女、身を投げたところなり。
・油堤 油堤は、六浦橋の南、千光寺の前にある堤なり。侍従が照手姫の粧具を持ち、この堤まで尋ね来たり。その行方知らずを悲しみ、ここで身を投げたるとなり。
・千光寺 日光山と号す。本尊観音是照手姫が守本尊なり。ふすられし時、身代に立ちと也。三十三年に開帳す。
・照手姫松 瀬戸橋の北にあって、西の岸より出崎に一株の松あり。里人云う照手姫を、いぶした時の松木の跡。延宝八年(1680)の大風に吹き折れて根松のみ在す。

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